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沿革

當山は 金 輪 山  宝 晃 院  明 王 寺〔きんりんざん ほうこういん みょうおうじ〕 と称し本尊は大日大聖不動明王で 真言宗智山派に属し、多摩88ケ所霊場第36番札所である。

開基・開山等は不詳なるが正保4年〔1647〕入寂せる俊快僧都を中興の祖と仰ぎ400有余年の法燈を現代に継承している。

當山は、横山道〔鎌倉街道〕筋の四軒寺〔宝晃院・如意輪寺・宝樹院・西光寺〕の1ケ寺として興隆した由緒ある寺であり、明治の初頭までは上保谷村総鎮守尉殿権現・阿波洲神社・杵築神社〔武蔵境〕をはじめ村内外6社の別當寺であった。また、江戸時代末期より寺小屋を開設し、現・保谷小学校に引き継がれるまで民衆の教育に大いに資した

寛政元年〔1789〕に造立された現・杵築神社正面の右柱中頃に彫られた銘文に
 武州新座郡 宝 光 院 別當 上保谷村 法印 祐 丈 とある

文政10年〔1827〕に書写された 當寺要用書写帳 によると享和2年〔1802〕における宝晃院持の神社及び除地は1町5反6畝歩を管理下に置いていた。


また、風土記稿 によれば宝晃院について 
 本堂8間に7間 本尊不動明王地蔵堂は門を入って左にあり とある

明治36年9月突然の雷火によって堂宇及び古文書等が鳥有に帰したが法幸にも本尊不動明王・過去帳等は難を逃れた。現存している山門が創建時代の唯一の遺構となっている。

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